体調不良から二週間。
にんじんりんごジュースばかり飲んで夏バテになってしまったのでしばらくジュースから離れていたのですが、それだとせっかく買ったジューサーがもったいないので、体調の回復を見て、飲み過ぎない程度にジュースを再び作り始めました。
そのまま飲むのではなく、炭酸水やウォッカを少し入れて手作りサワーにするのが最近のお気に入り。甘味が足りないときは蜂蜜など入れて。
生ジュースで作るサワーや炭酸ドリンクは美味しいです!
久しぶりの買い物
ところで今日は、夏バテで倒れて以来行っていなかった自然食品店に行ってきました。
立って、歩いて、好きな食材を選んでカゴに入れる。この一連の動作に、寝込んでいる最中どんなに憧れたことでしょう。
無農薬の生姜を吟味しながら、買い物できる喜びを噛みしめました!
三日後追記:再び体調不良
夏バテがやっと治ったと思ったら、なんと今度は熱が出てきました。
病み上がりにはしゃいで動き回りすぎたかもしれません。過労、ストレスというのもあったかもしれません。
食べ物はそう悪くなかったと思うのですが、なんとも、体調というのは食べ物だけでは制御しきれないときがありますね。というわけで記事の更新が少し飛び飛びになるかもしれませんが、「今日の一言」だけは無理のない範囲で更新しようと思っています。
暑さ、湿度の厳しき折、皆さまもご自愛ください!
翌日追記:高熱
「今日の一言」ファンの母から更新の要望があったので、妹に口述筆記してもらっています。
熱は昨夜39.3℃まで上がり大変な思いをしました。今日は熱は少し下がりましたが、頭痛と腹痛で気弱モードです。
凍らせた保冷剤にタオルを巻いて枕元に置き、心の友にしています。早く元気になりた~い!
翌日追記:下痢
今日も妹に口述筆記をお願いしています。胃腸の調子が良くないので、今日は水分しか摂っていません。
おかげでフラフラですが、腹痛が治まるまでは我慢しようと思っています。
それにしても今回二度も続けて体調を崩したのは痛恨の極みです。原因を見極め、もう二度とこんな事態を引き起こさないように早急に対策を練らねばなりません。健康ってつくづく宝ですね。
(2017年追記:このとき、ぼかして書いていますが、実際はひどい下痢でした……。下痢が四日も続いていたのです。辛かったです。)
翌日追記:固形物が食べられない
相変わらずお腹の調子が良くなくて固形物が食べられないので、妹にスポーツドリンクを買ってきてもらいました。
スポーツドリンクには白砂糖や添加物が入っているのでそれがちょっと気がかりではあるのですが、大学時代にひどい風邪を引いたときかかった病院で「脱水症状にならないためにスポーツドリンクを飲むといい」と言われ、その通り実行してなんとか回復できた経験を思いだし、今回スポーツドリンクにも助っ人になってもらうことにしました。
久々に飲んだスポーツドリンクはなかなか美味しかったですよ!
2日後追記:失敗も含めマクロビオティック
今回私がこうして体調を崩した姿を皆様にお伝えしているのは、「失敗も含めてマクロビオティック」だと信じているからです。
病があるから健康がある。ならば病は健康への道。もちろん病気などせずにいられれば一番でしたが、病にまでなると自分の犯したあやまちが本当に骨身にしみて、「二度と同じことはするまい」という強い決意につながります。
この風邪も、自分の体としっかり向き合うことで自分で治していきます。「自分の医者は自分」というのが桜沢マクロビオティックの真髄ですからね!
翌日追記:終わりが始まりへ
始めあるものに終わりあり…。
無双原理の代表的な考え方の一つですが、今回の風邪も、終われば何か新たな始まりへとつながっていくのでしょうね。
山あり谷ありでときに立ち直れないくらいに疲れきっても、休憩して、新しい風を待って、ゆっくりでいいから諦めずゴールを目指していきたいものです。
翌日追記:メイン記事更新
九日ぶりにメインの記事を更新しました!「生きていれば風邪くらいひくさ~マクロビオティックをやっていても」です。
これは前回、夏バテ回復直後に書いてあって更新できずにいた記事なのですが、まるで今書いたようにタイムリーなタイトルですね……。
史上最悪にひどい様相を呈していた風邪もだいぶ落ち着き、なんとかパソコンの前に座って更新作業ができるまでになりました。前回は病み上がりではしゃぎすぎてぶり返したので、今回は慎重に全快を目指します。
2017年追記
このときの体調不良がのちのち数年を要する病態につながっていきます。詳しくは『マクロビオティック実践の果てに』をご参照ください。
記事内では「風邪もだいぶ落ち着き」とありますが、落ち着いたといっても37.4℃くらいの熱はありました。だるくて、とても健康状態とはほど遠かった。
でもそれでも、体を少しも起こせなかった状態のときよりは回復していたので、この機を逃しては次は無いと思い、このあと間もなく無理矢理北海道に帰りました。↓